この套路は、元々は中華民国 が国立の武術 研究 機関 として南京に設立した中央国術館の第一期生であり、主席で卒業した韓慶堂大師が、政変とともに台湾に渡って同地に伝えたものです。
初期の中央国術館では苗刀が正課となっていて、“武術之郷”として有名な河北省滄州の武術名家である郭長生(通臂拳)と馬英図(通備拳)が古伝の苗刀を編集整理した「二路苗刀」という套路が練習されていました。現在、中国に伝わる苗刀は、この「二路苗刀」の流れを汲むものが主流となっているようです。
「四路苗刀」は、この「二路苗刀」から基本的な技法を抽出して編纂された套路だと考えられ、比較的シンプルな技法で構成されています。また現在の中国の苗刀と比較すると、「二路苗刀」は、より日本剣術(特に影流系の剣術)に近い風格を持っているようです。