倭寇刀術と苗刀

■倭刀術と四路苗刀


 倭刀術稽古会では「四路 苗刀」という套路を練習の中心に据えています。
 苗刀は、古くは倭刀、長刀、単刀、あるいは双手刀などの名で呼ばれていていましたが、現在は苗刀という呼称に統一されています。中国の刀術としては珍しい両手遣いの刀術で、その歴史を遡ると、明代に倭寇によってもたらされた日本の剣術に辿り着きます。


 「四路 苗刀」 は、台湾を拠点に世界各国で活動している武壇国術推広中心( 通称「 武壇」)で初級の武器術として練習 されているものですが、初級と言っても決して底の浅いものではなく、むしろ中国武術の四大兵器とされる刀、剣、棍、槍の要素を併せ持つ、非常に奥の深い套路となっています。

   この套路は、元々は中華民国 が国立の武術 研究 機関 として南京に設立した中央国術館の第一期生であり、主席で卒業した韓慶堂大師が、政変とともに台湾に渡って同地に伝えたものです。


  初期の中央国術館では苗刀が正課となっていて、“武術之郷”として有名な河北省滄州の武術名家である郭長生(通臂拳)と馬英図(通備拳)が古伝の苗刀を編集整理した「二路苗刀」という套路が練習されていました。現在、中国に伝わる苗刀は、この「二路苗刀」の流れを汲むものが主流となっているようです。


 「四路苗刀」は、この「二路苗刀」から基本的な技法を抽出して編纂された套路だと考えられ、比較的シンプルな技法で構成されています。また現在の中国の苗刀と比較すると、「二路苗刀」は、より日本剣術(特に影流系の剣術)に近い風格を持っているようです。