これは会員制情報誌「情報と調査」108号に掲載された、野村暁彦師範による記事
「中国 近・現代史に蘇る倭刀術の潮流 /海を越え、伝承された日本刀術から見るもう一つの文化史 」
の一部です。
続きを読みたい方は、下の PDF版情報誌「情報と調査」をダウンロード して下さい。
中国には倭寇が伝えた日本の刀術が今も伝わっている。このことを初めて知ったのは今から30数年前。当時はまだ実態がよく分かっていなかった中国武術に興味を持ち始め、中国武術研究の第一人者である松田隆智氏の著書を、片っ端から読み漁っていた頃だったと思う。16世紀頃、明代の中国に、倭寇によって日本の剣術がもたらされ、それが苗刀という名で今も伝えられているのだという。
その後、通臂拳の郭瑞祥という武術家が伝える苗刀の映像を見ることができた。この中国河北省滄州に伝わる苗刀は、確かに刀の形は日本刀に近く、また中国武術としては珍しい両手持ちの刀術だった。しかし、走りながらダイナミックに刀を振るう姿はいかにも中国の刀術という感じで、日本の刀術という雰囲気ではなかった。
ところがこの映像を見てから程なくして、中国から台湾に伝わったという苗刀を習う機会を得た。四路苗刀という套路(型)で、韓慶堂という武術家が伝えたものである。
台湾出身の老師から螳螂拳や八極拳などの武術を学ぶ中で、初級の武器術として学んだのだが、実際に学んでみると、この四路苗刀は動作が非常にシンプルで、映像で見た滄州の苗刀とはかなり雰囲気が異なっていた。
中国武術に興味を持ち始めた頃は日本の武術にはあまり興味がなかったのだが、実際に中国武術を学び始めると、なぜか日本の武術にも沸々と興味が湧いてきてしまい、覗き見程度ではあるが、そちらにも少しずつ目を向けるようになっていった。すると自分が学んだ四路苗刀の姿勢や動作が、日本の数ある剣術流派の中でも柳生新陰流や駒川改心流など、いわゆる陰(影)流系の剣術に何となく似ているということが分かってきたのである。
(続く)